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ウィッツのつぶやき Vol.147

2019年11月12日

人間の意識って動き始めると結構しっかりするのものですね。 もしかしたら普通に寝てしっかりしている時より頭の中がクリアになるのかも知れません。 不思議な感覚ですが、先の先まで見えてくるというか、自分がこの先どうなっていくかが綺麗に見えてくるのです。 こんな事を他人に言っても恐らく誰も信用はしないでしょうし、今迄の自分はそういう他人の言葉は絶対に信用しませんでした。 極限を漂う人というのが一体何を見てきたのか。 自分が芸術家だ等とは決して思いませんが、芥川龍之介や石川啄木たちの文章を見ていると彼らはもしかしたらこういう世界を見てしまったのではないかと思ったりします。 見てしまった世界を出来るだけ他人に誤解されないように自制して書いた文章のように思えてくるのです。 極限を見るってもしかしたらそういうものなのかもしれません。 どうしようもなくてそういう状態に陥る人もいるでしょうし、自ら望んでそういう状態に陥る人もいるかも知れません。 そういえば、乾教授の「脳型処理の基本原理と個性を生み出すメカニズム」の講義の中で、ドーパミンの話が出ていました。 一般の行動の中で予測誤差が生じる時、精度制御に関連してドーパミンが放出されるという事だと理解しています。 脳の動きの不思議なところですが、ここには未経験の仮想経験、デジャブと言われる状態が現出されているのかも知れません。 仮にこのような状態が全く移動不可能な機械の中で起こりうるとしたら、これは人工知能と呼べるのかも知れません。 入力するデータの数にもよるのでしょうが、数を集約して仮想経験を紡ぎ出すことが機械の特徴として出てくるのでしょうか。 ちょっと気になったので「経験していないのに経験したような記憶」で検索してみました。 https://psych.or.jp/interest/ff-14/ こういうのが出て来ました。 思った通りというか、ここの中で 「デジャビュが,てんかん患者などにおける記憶異常の問題として扱われ,健常者では,疲労やストレスなどによってまれに起こる現象」 という記述と共に 「デジャビュ内容に関して,103名の大学生に16の場所・場面をあげて,デジャビュ経験の有無を尋ねたところ,並木道,古い町並み,公園,校舎,寺社などは,3割以上の人が,デジャビュ経験を報告していました。これらの光景は,しばしば目にし,しかもその光景は相互に類似しています。図に示すように,人は,これらの光景を繰り返し見ることによって,その光景は重なり合い,細部は失われた形での典型的光景(たとえば,寺であれば,山門から本堂までの石積みの階段)が記憶内に形成されます。そして,新たに目にした光景が記憶内の典型的光景と類似し,複数の手がかりが合致すると既視感が起こると考えられます。典型的な光景ほど,(見たことがないのに見たことがあると感じる)虚再認を起こしやすいことは,さまざまな寺の写真を用いた実験でも見いだされています。ほかにも,デジャビュの説明としては,脳機能障害(前頭葉における軽い発作,神経回路網の伝達の一時的障害),分離知覚(ある知覚経験が2通りの処理で保持される)などがあります。」 という記述がありました。 人工知能を行動指針として利用するとき、このことはしっかり認識しておく必要があるのではないでしょうか。 私の場合特に人工知能にファジーやカオスを利用しようと考えているのでコンピュータがデジャブを想起することは十分考えられることです。 歴史は繰り返すと言われていますが、繰り返してはならない歴史も世の中にはあります。 その歴史をどうすれば回避できるかをコンピュータに問う事が如何に馬鹿げているかを指摘したいのですが、政策決定に人工知能を使おうという人もいるのです。 一番の問題は限定された情報の中では「繰り返し経験」を提示することが起こりうるという事です。 推論はあくまで推論であり、経験や事実ではないという事です。 時々、コンピュータが出した結果だから絶対に間違いはないという方を見かけますが、こういう認識があれば恥ずかしくて物は言えないはずだと思うのです。 世の中には「絶対」という事はまずありません。 どの様に優秀な機械を使っても、出てきた結果を検証できるのは人間だけです。 どの様な計算結果を使うにしても一度は疑ってみるという手続きが必要なのは言うまでもありません。