ウィッツのつぶやき Vol.1887

2020年07月10日

今日も梅雨のシトシト雨です。

40年余り前、七夕災害の復旧工事を設計したことがありました。

昭和49年災害で7月7日発生の災害でした。

その頃28災が戦後一番酷かったという話をよく聞きました。

気になったので検索してみたら、紀伊半島ではなく今と同じように九州が酷かったのですね。


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%AD%E5%92%8C28%E5%B9%B4%E8%A5%BF%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%B0%B4%E5%AE%B3

「1953年(昭和28年)6月25日から6月29日にかけて九州地方北部(福岡県・佐賀県・熊本県・大分県)を中心に発生した、梅雨前線を原因とする集中豪雨による水害」とありました。

今年と同じような感じですが当時の被災程度は凄かったのですね。

この時の災害を基準に復旧工法が定められたようですが、今年は当時以上の豪雨のようです。


「昭和28年西日本水害では、阿蘇山麓や英彦山麓、脊振山地などの九州北部山間部で記録的な豪雨をもたらした。6月25日の降り始めからの総降水量は、熊本県鹿本郡山鹿町(山鹿市)で1,455.3ミリを記録したのをはじめ、筑後川本流上流域(杖立川・大山川)で900 - 1,000ミリ、支流玖珠川流域や阿蘇山、大分川上流域、矢部川上流域で800 - 900ミリ、北九州や背振山地で500 - 600ミリと猛烈な豪雨を記録している。また一日降水量も山鹿町の528ミリを皮切りに福岡市、佐賀市、熊本市などで300 - 400ミリを超え、時間雨量も福岡県小倉市(北九州市小倉北区・小倉南区)で101ミリ、熊本県阿蘇郡小国町宮原で90.2ミリなどと短時間・長時間問わず記録的な豪雨となった。豪雨のピークは25日 - 26日ごろは福岡県筑後地方・熊本県・大分県などが中心で、その後徐々に北へと移動し、28日 - 29日ごろには北九州が豪雨のピークとなっている。また降雨分布も、河川の上流・中流・下流を問わず、流域の広範囲にわたって豪雨が降り注いでいる。」


「上記の気象要因に加え、地質や地形、植生も豪雨被害が拡大する要因となった。新第三紀から第四紀にかけて活発だった阿蘇山の火山活動により、福岡県南東部・大分県南部と西部・熊本県北西部一帯は、おおむね変朽安山岩や阿蘇熔岩を主体とする地質を形成しており、これらの地質は透水性に乏しかった。さらに戦中・戦後に山間部は森林を乱伐していたこともあり、森林の保水力は極端に低下しており、降った雨は通常の森林に比べ土壌に浸透せず、地表を流下して河川に注ぐ形となった。そのうえ、阿蘇山が同年4月27日に噴火を起こし降灰量516万トンにもおよぶ大量の火山灰が堆積、それが豪雨によって雨水とともに地表を流れ、土石流となった。


「また地形的要因も洪水被害を増幅させた。すなわち日本の河川の特徴でもあるが、九州北部の河川はおおむね河川勾配が急であり、河川は急流を形成して上流から下流へと流下するため、下流の水位は急激に上昇しやすい。これに加えて九州北部を流れる河川のいくつかは、流域面積が中流・下流域に比べて上流域の面積割合が広大であり、その割合は白川水系で約80パーセント、筑後川水系で70パーセント

を占める。こうした地質・地形特性を有する河川の上流地域に広範囲かつ持続的な豪雨が降り注ぎ、大量の降雨が膨大な水量をともなう洪水となって、短時間に下流地域へ一挙に押し寄せたこと、また先述の通り、6月上旬から中旬にかけて北部九州で豪雨があり、地盤が緩んでいたところにそれを上回る記録的な豪雨が追い討ちをかけたことが、被害を大きくした。」


昭和中期からの宅地開発の仕方を見ても「森林の保水力は極端に低下」していると言えます。

もしかしたら当時と変わらない条件下だったのかもしれません。


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